去年に引き続きセンチメンタルな4月の林です。
コロナ禍の折、世の中に旋風を巻き起こした「鬼滅の刃」
遅ればせながら読んでみました。
いやー、びっくりしました。
何に?って
自分に。
自分の思い込みにですよ!
「水の呼吸」とか「鬼退治」とか「全集中の呼吸」とかとか。
テレビ等から漏れ聞こえる情報から
私なりにイメージしておりまして
鬼滅の刃は、ポケモンみたいな感じなんだなと。
水とか火とか属性があって
きっと火の鬼には水の呼吸で戦うのだろうと
もうね、勝手にね、そう思い込んでいたわけです。
何なら煉獄さんにいたっては敵(鬼)だと思っていました。
全集中の呼吸に関しては漫画を読む前に
ある人にあれはどのタイミングでする呼吸なの?と聞いたら
「あれはね、常にするものなの。標準装備よ。」と教えられ
全集中の呼吸を、ワンピースの覇気みたいなものだと
これまた勝手に思い込んでいた私は、その時点で気付くべきだった。
私が思っている鬼滅の刃は相当ずれていることに。
人は思い込む生き物である。
事故や事件のニュースを見ても
どこかで自分は大丈夫であると思い込み
思わぬところで躓いたりする。
震災の時も、ここまで津波は来ない。
そう、何の根拠もなく思い込んでいた私は見事に逃げ遅れてしまった。
思い込みとは実に恐ろしい。
自分で検証もせず勝手に分かった気でいたりする。
とは言え、思い込みは果たして悪いことばかりなのだろうか?
鬼滅の刃をざっくり説明すると
主人公の炭治郎が鬼になってしまった妹を絶対に俺が助けてやる!と
紆余曲折を経て成長し、ラスボス戦に向かっていく話です。
鬼になってしまった者が元に戻れるかどうかも誰も分からず
周囲にも理解されない状況でも諦めず
「きっと何か方法はある!」と最後まで突き進む炭治郎の姿を見て
お・・思い込みって・・・・大事!
そう思ったわけです。
家族への愛情から助けてやりたいと思ったとしても
これまでぇ~そんな話聞いたことないしぃ~。
鬼と戦ったことなんてないしぃ~。
ていうか勝てる気がしないしぃ~。
やばっ!!
とか思っていたら、そもそも無理なのです。
できるかどうかではなく、
やるしかないんだ!
自分がやるんだ!きっとやれる!何とかなる!
修造か。
てな具合に思い込むことで
前に進めることってあるよね。
危険な思い込みと
未来を切り開いていくための思い込み。
同じ言葉なれども異なるもの。
花粉にまみれ、目が霞み、
鼻水工場がフル稼働する中、たとえ薬で朦朧となろうが
私はやれる。
まだやれる。
負けるもんかと
今日も画面に立ち向かう。
ビバ!思い込み!
林 仁香